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2016年12月のニュース

移動全支部長会議で復興視察

2016.12.31

  • 防災対策庁舎前で献花と黙祷を捧げる
  • 以前は線路だった場所がBRTのバス専用道路に

 10月30日と31日の2日間、東交は移動全支部長会議を東日本大震災の被災地である宮城県で開催し、各支部長をはじめ本部役員など47人が参加した。これは、東日本大震災から5年が経過し、震災の記憶が風化されようとしている中、2011年12月に移動全支部長会議で訪れた南三陸町を再び訪れ、震災の記憶を継承し、東京での大災害への備えを考えていくために取り組んだものである。 

10月30日

 1日目は仙台駅に到着したあと、観光バスで名取市閖上(ゆりあげ)地区に向かい、語り部とともに被災地を見学した。閖上地区はかつて2500世帯7000人が住んでいたが、大震災で壊滅的な被害を受け、750人が亡くなり、今も38人が行方不明となっている。閖上中学校では14人の生徒が津波の犠牲となり、更地となった中学校跡地には生徒の慰霊碑があった。参加者は、慰霊碑の社務所である「閖上の記憶」で震災当時の映像を見たあと、語り部とともに、中学生の慰霊碑、津波の教訓を刻んだ過去の津波の碑、神社のある日和山、市の慰霊碑などを訪れ、語り部から、震災当日の避難の様子やその後の避難所での生活、復興への動きなどのお話を伺った。その後、社務所で震災当日の上空からの映像を見たあと、閖上の地をあとにし、南三陸町に向かい、2011年の移動全支部長会議でも訪れた「ホテル観洋」に宿泊した。

10月31日

 2日目はホテルの語り部とともに観光バスでJR気仙沼線陸前戸倉駅を視察した。JR気仙沼線は大震災で甚大な被害を受け、柳津〜気仙沼間はBRT(バス高速輸送システム)での仮復旧が行われており、陸前戸倉〜志津川間の一部は元の線路を利用した専用道区間となっている。鉄路での復興費用は1800億円かかると言われている。
 陸前戸倉駅でBRTバスを見送ったあと、参加者は旧戸倉中学校(現公民館)をバス車内から視察した。戸倉中学校は高台にあり指定避難所であったが1階まで津波の被害にあい、校庭には仮設住宅が建てられ、避難生活が続いている。また、少し下にあった戸倉小学校も指定避難所であったが、大震災2日前の余震の際、避難所を近くの山の五十鈴神社の境内に変更したことで小学生が助かったことも語られた。
 その後、志津川地区に移動し、高野会館(冠婚葬祭所)を視察した。高野会館は3階建てで、当日の利用者にはお年寄りも多く、400メートル先の5階建ての避難所では遠いと判断したことにより、屋上に避難した327人全員が助かっている。備蓄を震災直前に補給し、震災当夜は水などの備蓄を分け合うことにより、翌朝の救助まで命を繋いだ様子などが詳細に語られた。
 続いて、南三陸町防災対策庁舎に赴き、安田委員長が献花を行い、参加者全員で黙祷を捧げた。庁舎を保存するか解体するかで意見はわかれたが、20年間は保存することとなった。
 志津川地区では、かさ上げ工事が進められており、ピラミッドのような小山が更地の中に築かれていた。南三陸町で730社あった企業の7割は廃業し、宮城県で最悪となっている。
 続いて、女川町に向かい、内陸へ200メートル移転・再建された石巻線女川駅を視察した。駅周辺はテナント型商店街などがあり、女川町では、安全な高台へ住宅地を整備し、女川駅を中心とする「にぎわい拠点」へ公共施設や商業・観光施設などを集める、コンパクトな市街地形成をめざしている。
 その後、石巻市内を見学し、移動全支部長会議を終了した。